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LGSAカンバセーションズ #1
- タイトル
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ポスト・エビデンス時代のストリート—センター街からスクランブル交差点へ
- 出演
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千葉雅也(哲学者・作家)
大山エンリコイサム(美術家)
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2026年2月21日(土)
開場 14時30分
開始 15時00分
終了 16時30分
- 会場
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LGSA by EIOS
〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町11 – 6 DAGビル 401号
- 形式
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公開収録
本トークは動画の公開収録として会場で参加できます。参加方法はページ下部をご覧ください。
動画は後日、大山エンリコイサムスタジオ公式YouTubeプログラムにて無料でご覧いただけます。
千葉雅也さんは2015年の論考「アンチ・エビデンス—90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い」において、社会や物事に残された曖昧さやグレーさが、原因や責任の追求を可能にする明証性=エビデンスにより塗り潰されていく当時の様子を「エビデンシャリズム」と名づけ、警鐘を鳴らすとともに、自身が当事者として経験した90-00年代の渋谷のストリート文化を特徴づけるさまざまなエレメントの批評性—刹那的なフレグランスの散逸、不安なコーディネートの実験、ジェンダーイメージに関わる逸脱—をそこに対置し、パフォーマティブな問題提起を行なった。それは当事者による参与観察をベースに、インターネットおよびSNSが段階的に普及した20年ほど、おおよそ平成の中央にあたる時代をとおして起きた社会心理の変化を、都市空間と情報空間を同時に視野に収めて分析した、優れて挑発的なテクストだった。
千葉さんの観察は、おもにセンター街を流行の発信地とするガラパゴスな日本のストリート文化を対象としたが、渋谷はまた、もうひとつのストリート文化の中心でもあった。ニューヨークを発祥地とするストリートアートである。千葉さんが前者から抽出したエレメントは、後者にもエコーする。すれ違いさまに察知されるフレグランスの刹那性は、深夜の路上に噴霧された、エアロゾルスプレーの音と匂いのエフェメラルな気配でもある。様式化以前のさまざまなコーディネートの実験は、手本を欠いたまま、見様見真似にレターを崩して組み合わせるスタイルの探究や、既製品をカスタムして画材へと転化するテクニックにつうじている。そして盛られたヘアスタイルの「頭空っぽ性」は、かつてボードリヤールが、意味のコードから外れた色とかたちの戯れであるストリートアートを「からっぽの記号」と呼んだことと無関係ではないだろう。
トライブ性を共有しつつ、両者には差異もある。ストリートアートはセンター街のような特定のエリアにたむろう代わりに、都市を横断して散逸的なネットワークを形成する。ライターはメディアの注目を避け、エビデンスを残さずに逃走し、不可視の匿名性にとどまろうとする。またリスクや危険がつきまとい、依然としてマスキュリニティが支配的な文化である反面、エスニシティにおいては今日の多様性をはるかに先取りしていた。こうした差異や一致を含みながら、ふたつの「ストリート文化」が90-00年代の渋谷でずれ重なり並存していた事実は、2026年の視点から振り返るとき一定の示唆に富んでいる。そこに見え隠れしていたモダンとポストモダンの混在する感性は、都市空間では大規模な再開発が同時多発し、情報空間ではシンギュラリティが間近とも言われる現在進行形の風景において、どう延命しているのか。もしくは息絶えているのか。
実際にここ数年のあいだ、千葉さんが「アンチ・エビデンス」で提起した論点は、新たな位相に突入している。人工知能の実用化によって、形式的な社会的手続きはほぼ全面的に自動化していくことが予見されるなか、かつてエビデンシャリズムが追放しかけた「判断」が、人間に残された唯一の役割としてあらためて脚光を浴びつつある。他方で、生成AIを利用したフェイク画像の氾濫は、トランプ米大統領に象徴されるポストトゥルース的な状況に拍車をかけ、エビデンスとされる素材の正誤判断、いわばエビデンスのエビデンス性までが精査の対象になるという一種の無限後退を引き起こしている。同時に、常態化した経済の低迷や格差拡大の危機感が増すなか、エビデンシャリズムの背後にあったリスク回避の思想こそが最大のリスクという実感が若年層を中心に広がり、リスクを踏まえてアクションをする新たな行動主義のような試みが散見される。
こうした一連の様相は、エビデンシャリズムの後退や失効ではなく、その脆弱性や複雑性の発覚をともなうさらなる前提化、インフラ化、あるいはこう言ってよければ自然化であり、その意味で令和の日本はポスト・エビデンスの社会ではないだろうか。そのときストリート文化にどのような可能性があるのか。渋谷が若者から外国人観光客の街になって久しい。最大のシンボルはセンター街以上にスクランブル交差点である。信号が変わるたびに多国籍な歩行者が一斉に溢れだし、スマートフォンをかざして都市の映像的なすれ違いを文字どおり映像に収める様子は、さながら路上の噴霧器のようである。その新たな空虚さには、まだ未発見の批評性があるのか。それとも渋谷のストリートからは、すでに文化の手触りは消失してしまったのか。本トークでは千葉さんをゲストにむかえ、以上の問いを枠組みのひとつとし、都市と文化のこれからの関係を探りたい。
出演者プロフィール
千葉 雅也|Masaya Chiba

1978年、栃木県宇都宮市生まれ。哲学者、作家。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学、パリ高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。著書に『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(第4回紀伊國屋じんぶん大賞、第5回表象文化論学会賞)、『勉強の哲学』、『意味がない無意味』、『現代思想入門』(新書大賞2023)、『センスの哲学』など。小説作品に『デッドライン』(第41回野間文芸新人賞)、短篇「マジックミラー」(第45回川端康成文学賞)、『エレクトリック』などがある。
関連リンク
X|x.com/masayachiba
大山エンリコイサム|Enrico Isamu Oyama

美術家。ストリートアートの一領域であるエアロゾル・ライティングのヴィジュアルを再解釈したモティーフ「クイックターン・ストラクチャー」を起点にメディアを横断する表現を展開。イタリア人の父と日本人の母のもと、1983年に東京で生まれ、同地に育つ。2007年に慶應義塾大学卒業、2009年に東京藝術大学大学院修了。2011−12年にアジアン・カルチュラル・カウンシルの招聘でニューヨークに滞在以降、ブルックリンにスタジオを構えて制作。2020年には東京にもスタジオを開設し、現在は二都市で制作を行なう。
関連リンク
ウェブサイト|enricoisamuoyama.net
インスタグラム|instagram.com/enricoisamuoyama
X|x.com/enrico_i_oyama
イベント参加方法
参加には事前にチケットの購入が必要です。
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※ 席数が限られるため、かならず来場前にチケットの購入をお願いいたします。
※ イベント時は資料室としてのご利用はできません。あらかじめご了承ください。
動画の公開について
大山エンリコイサムスタジオ 公式YouTubeプログラムにて無料公開を予定しています。
公開の日程は本ウェブサイトおよびSNSにてお知らせをいたします。